スンナ派シーア派とはなにか?

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中東情勢のニュースでよく耳にする「スンナ派」と「シーア派」。なんか対立しているようなのだが、遠い国のことでよくわからない。この2つの違いや、その対立の経緯について、説明する。

違いの概要

成立経緯

まず、日本人にとって一番誤解しがちなのは、スンナ派シーア派に限らず、この手のイスラム教徒の分派は「教義の違い」による派閥と思ってしまうこと。もちろん細かいことを言えば教義の違いもあるのだが、ことさらスンナ派シーア派を語るときには教義の違いはそこまでポイントではない。

スンナ派シーア派に分派した発端は「誰を後継者とするか」である。イスラム教の教祖がムハンマドであることは自明であろう。そんなムハンマドもいつかは死ぬわけなのだが、死に際にて最大の失態を犯してしまう。それは"後継者を指名しなかったこと"。

世界史・宗教史を見ていく中で、強力なリーダーシップをもった創始者が後継者を指名しなかったことでその後の後継者争いで内部対立が起こって滅びてしまった、という例はいくつもある。古代を振り返ればアレクサンドロス3世だったり、現代における新興宗教でも、教祖の死とともに滅んでいった宗教は数しれず。イスラム教もその例に違わず後継者争いによる消滅の危機に見舞われた。

そんな中で後継者に選ばれたのがアブー・バクルという人物で、その後、2代目がウマル、3代目がウスマーン、4代目がアリー、という順に後継者が続いていく。ここでポイントとなるのが、1~3代目の後継者というのは、ムハンマドとは血縁関係がない人物であり、ムハンマドと血縁関係のある後継者は4代目のアリーまでお預けとなってしまったのだ。宗教という世界においては、単に実力主義年功序列という概念だけではなく、その教祖といかに近しい関係にあるか、つまりは血縁関係者こそが正当な後継者とすべきであるという考えがつきまという。

というわけで、1~3代目の後継者もそれはそれで後継者なんだからいいじゃん、という考えがスンナ派、それに対して、いやいや4代目のアリーこそが正当な後継者ですーという考えがシーア派として分派していくことになった。

このような形での成立過程であるため、宗教的な教義の違いがあまりない、というのが特徴である。どうしても、宗教における派閥ときくと、カトリックプロテスタントとか、浄土真宗曹洞宗というような教義の違いと思ってしまいがちだが、ことさらスンナ派シーア派における違いにおいては教義の違いはポイントにならない。ここを抑えておかないと、スンナ派シーア派対立の理解がぼやけてしまう。

人口分布

 一般的にスンナ派イスラム教徒のうち80%ほど、シーア派は10~20%ほど、残りがその他の少数派と言われている。イスラム教徒が16億人ほどと言われているので、13億人くらいがスンナ派で3億人くらいがシーア派となるだろう。シーア派イスラム教全体では少数派と言えども、日本の人口を遥かに超える。

特にシーア派の多い地域が、イラン、イラクアゼルバイジャンバーレーン等であり、中東地域に集中している。さきほど、イスラム教徒16億人ということを書いたが、これには東南アジアや北アフリカ諸国の人数も含まれているため、中東に限って言うとシーア派の割合はそれ以上に高まるだろう。

そのため、中東問題においてはシーア派を少数派・マイノリティとして片付けてしまうには影響力が大きすぎる存在となっている。

教義の違い

一応、教義の違いについても記載しておく。

まず、コーランについてはスンナ派シーア派も同一のものになり、それに対する解釈も(おそらく)変わらないはずだ。そこで差が出るのがハディースとなる。ハディースについては聞き慣れない人も多いだろう。

コーランは神の言葉を記した書物となるが、誤解を恐れず言えばこれはルールブックとなる。とはいえコーランは別にルールブックという目的で作られたものではないので実生活においてはどうしてもコーランの内容に適合できないような事例が発生する。そのような「こういう場合どうすんの?」という時に指針をしめすのがハディースである。もっと具体的に言うと、ハーディス自体はムハンマドの言語録・行動録であり、「コーランの記述だけだとよく分からないけど、ムハンマドがこうしてるんだから、これが正しいんでしょう」という位置づけで、コーラン解釈の補助教材として用いる。

このハディースについて、シーア派ムハンマドの直系の後継者を正当な後継者としてみなすことから、ムハンマドだけではなく、その後継者達の言行録も合わせてハディースとしてコーラン解釈の補助教材として用いる。

その他、イスラムスンナ派には六信五行という考えがあり、6つの信じることと、5つの実践すべき行いのことなのだが、他方でシーア派五信十行で、10の信じることと、5つの行いになっている。詳細は個々では省略する。なお、礼拝の作法もスンナ派シーア派で多少異なる。 

なぜ対立しているのか?

教義の違いによる対立ではない

 ここまで読んだら分かる通り、スンナ派シーア派それ自体に教義の違いが大きく変わるわけではない上に、そこは対立のポイントでも無い。キリスト教カトリックプロテスタントが対立したのとは全くわけが異なる。スンナ派シーア派の対立は政治的理由によって引き起こされ、それがたまたまスンナ派シーア派という宗派の括りでグルーピングされてしまったに過ぎない。

例えばイラクの場合

イラクスンナ派に対してシーア派のほうが少し多く、スンナ派シーア派=4:6くらいの割合である。そんな中、かの有名独裁者であるサダム・フセインがいるわけだが、このサダム・フセインおよびフセイン率いる政党(バアス党)はスンナ派であった。つまり、少数のスンナ派が多数のシーア派を支配する構造となっていたのである。そのため、シーア派からの不満は貯まる一方となった。

そんな中、2003年のイラク戦争により逮捕されて最後は処刑され、これでアメリカの思惑通りイラクにめでたく平和が訪れる…わけではなかった。良くも悪くもフセインの独裁政治によってイラクが一応は一定の安定を保っていた中、フセインがいなくなり、それに付随してバアス党の力も弱くなったところで"民主的"な選挙を行うとどうなるか、そう、イラク国内で多数派であるシーア派が勝つのである。

その結果、もともとスンナ派から支配を受けて不満が溜まっていたシーア派が隆盛、とは言えそれまで実権を握っていたスンナ派だってそうやすやすと権力を譲渡したくない、という形で、スンナ派シーア派で争いが生じ、フセインがいなくなったことでかえって混乱を引き起こしてしまったというのがイラクの状況である。

まとめ

以上のように、スンナ派シーア派の対立は教義の対立、例えば「礼拝の作法はこうすべきだろ!」とか、「コーランの解釈はこうあるべし!!」という対立ではなく、政治的にどっちがパワーを持っているか、によるグループ対立の構造である。そのグループがイスラム教の宗派によって形成されていた、というのが実態である。 

 

【中東大混迷を解く】 シーア派とスンニ派 (新潮選書)

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